ささやかな日常

ワーキングマザー三姉妹育児奮闘日記。夫は2020年から単身赴任中。

【子育て日記】第三子出産時の入院、退院

〈入院0日目(出産日)〉
土曜日の朝の5:51に第三子となる女の子を出産。出産の様子はこちらの記事参照下さい。
(出産以外のことも色々書いていますが、同じような記事を書くのも躊躇われたため、こちらにてご了承下さい)

産後の体調は良かったです。
出血量も少なく、傷もすり傷程度と言われ、縫合も最小限。
血圧も体温も問題なし。
赤ちゃんの撮影が終わり、助産師さんから携帯を返していただいてからというもの、主人や、長女次女を預かってくださっているAさんと、怒涛のメッセージのやりとりをしていました。

出産から2時間後くらいには分娩室から病室に入りました。産後なのでそれなりに足腰やオマタは痛かったですが、歩けないほどではなく。
ヨタヨタと床を踏みしめながら病室に行き、朝食をいただく。


この日は3月末。
主人の年度末の仕事、そして4月からの新たな赴任地への引っ越し、そして今後の長女と次女の保育園のことが心配で、早期退院を看護師さんに相談。
診察で問題なければ、最短で3日目に退院可能とのこと。
そのため、お祝い膳もこの日の夕食に早めていただきました。
翌日から母子同室が始まることは知っていたので、この一夜のおひとりさまを満喫する。
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なにせ今回、早朝の出産で、主人もおらず、近所にお住まいのAさんに、長女と次女、そして我が家のことを丸投げして病院に行った私。

Aさんにお世話になっている長女と次女は、ご飯やお昼寝、おやつにお風呂をAさん家族と共にしていました。

ここで少しAさん家族について触れておくと、
Aさん家族は今は7人で、そのなかでも以下の方々がいます。
・Aさん(推定50代)
・Aさん娘(20代前半)
・Aさん孫(3歳と0歳)

我が家の長女と次女は、 Aさん娘やAさん孫とも交流があり、仲良しです。

主人は東北新幹線地震の影響で一部不通となっているため、一日がかりで青森から東京に戻ってくる。
私が病室でお祝い膳をいただいた19時過ぎには、主人もAさん宅に合流して一緒に夕食をいただき、帰宅。
Aさんというご近所さまに恵まれて、本当に助かりました。


〈入院1日目〉
この日は日曜日。
昼前に母子同室開始。
赤ちゃん、哺乳瓶のミルクは飲むが、私の母乳には興味がないのか、すぐ寝ちゃう。
私はもう、お腹に赤ちゃんがいないので、胃がスッキリしたのか食欲がものすごく出てきて売店でお菓子を買い込んで暴食した。

赤ちゃんはというと
23〜2時ごろまで抱っこじゃないと寝ない状態に。
ねむくて白目になりながら抱っこしてた(笑)
赤ちゃんはお母さんの温もり感じてるのね。


〈入院2日目〉
月曜日。会社やいろんな施設が営業している日。
土日の間は手配や連絡ができなくてもどかしい思いをしていました。

私は会社への出産の報告を朝イチに済ませ、長女と次女は保育園。主人が送迎するが、やること山積していたため、登園後の時間を見計らって、あれやこれやと主人に連絡して捌く。
病院の通話可能エリアでずっと電話していました。
アドレナリン出まくったのか、一種の興奮状態になってたらしくて、血圧が今まで見たことないくらい高くなっていた模様。
降圧剤を処方される。

前日、ほぼ寝ずに抱っこしてたせいで、
身体がものすごくしんどかった。

産後の高血圧について情報収集していたら、脳卒中になり倒れる可能性があるとの情報を得る。せっかく赤ちゃんが生まれたのに私がここで死んでたまるかと一人で泣く。
1人で泣いて1人でスッキリする。

赤ちゃん、やはりわたしの母乳にはなかなか興味を持ってくれないが、徐々にかぶりつくようになってきたように思う。
夜、3時間くらいはまとまって眠れた。

長女と次女は、私が送った赤ちゃんの動画を「可愛い」を連呼しながら愛でている様子。
優しい子たちです。

〈入院3日目〉
診察で問題なければ、私のみ、退院の日。
(赤ちゃんは5日目の診察が終わってから退院)
朝から検尿と血液検査。
朝食をとり、診察していただく。
尿検査も血液検査も内診も問題なしだが、やはり高血圧状態なのが心配のため、降圧剤の服用と、2週間後の外来にくることを条件に退院できることに。

退院できることになった!

安堵の気持ちでした。
会計が終わるころ、主人に迎えに来てもらう。
主人の姿を見た途端、本当に肩の力が抜けました。
感謝の気持ちで溢れた。

遠いところをはるばる帰ってきてくれてありがとう。
保育園の送迎対応や、送迎サポーターさんへの説明をありがとう。
私の代わりに、子育て総合支援センターに書類をコピーして持っていき、打ち合わせをしてくれてありがとう。
私がいない時の長女と次女のお世話をありがとう。

主人と、近くの商業施設でランチ、そして赤ちゃん用品を買い足しに行きました。

帰宅して少しすると、母乳の分泌量が増えてきた。
急いで、買ったばかりの母乳パッドを入れる。
赤ちゃんが退院するまで、母乳を吸ってくれないので、退院したばかりの病院の看護師さんに電話相談し、少し搾乳・冷凍保存することにする。

めでたく早期退院できて、家族4人で過ごせる最後の日と思って、ケーキを買いに行く。
夕食後に美味しくケーキを食べた後、主人は夜行バスに乗り青森に戻り、私は娘2人と眠りについた。

今までの、家族4人の日々よ、さようなら。
2日後には、ここに赤ちゃんが加わる。

【子育て日記】そして3月末の近況(と出産レポート)

※今回も長文です
新型コロナから復活して、目まぐるしい日々を過ごしています。

■その1:私の妊娠37週の妊婦健診
・胎児の推定体重、約3kg
・子宮口3cm開いている
・産科の先生「もう、週に1回の健診になるけど、来週来なくていいんじゃない?ひょっとしたら生まれちゃうかもね」
→私の心の中「ららら来週はまだちょっと待ってええぇ (^_^;)」
・と思いつつも、心配になり、協力いただきたい方々への事前連絡(リマインド)は済ませる。

■その2:大学病院での3歳次女の検査(1件目)
・腸の病気が疑われるので、この日は浣腸して注腸造影。
・検査の時は、私のみ放射線室から出て、次女のことは先生方におまかせ。
・次女、力尽きるまで泣き叫ぶ(放射線室の扉の外までハッキリと声が聞こえる)。壮絶な声で私も胸が痛い。どんな検査をしているのか。。
・撮影が終わって再会したとき、涙でぐしゃぐしゃになった顔で寝ていました。
よく、、よく頑張ったよ、、。
・服を着替えさせて、このために用意しておいたお菓子を与える。泣き過ぎて赤い目が笑顔に変わる。
・帰宅すると、疲れ果てて深い眠りにつく。
・4月にも、もう1件検査があるんだけど、大丈夫かなぁ、、。

■その3:次女の3歳児健診
前日の注腸造影の検査のトラウマからか、初めての保健師さんから手を伸ばされたり、小児科医の先生から体を触られたりするとナイーブになり、泣いていました。
そりゃ、そうだよね、、。

■その4:第三子出産に伴う家の中改造計画
・購入した家具の搬入(2件のうち1件目)


の前に・・・




破水・陣痛がキターーーー!ヽ(;▽;)ノ



あれよあれよと出産よ!


詳細は以下。
・あさ3:30すぎ。なんか生理痛のような痛みで起きる。寝返りをうってもちょと痛い。んん?私、ちょっと汗かいてる?
・そういえば、陣痛ってどんな感じだったっけ?(完全に寝ぼけている)

・トイレに行き、少量の出血を確認。あれ?おしるしかな?パジャマのズボンも濡れてる。
・はっ!!多分これ破水だわ。寝てる間に破水とかアリ?
・そういえば、陣痛間隔、調べなきゃ!
アプリ起動。3:50ごろから計測開始。
・えっ?10分切ってる?
・とりあえず、主人に連絡。「たぶん陣痛きた」

・自分自身の最終的な入院確認をする。大体のものは事前に準備済みだったが、思考力が低下していて、何が足りないか考えられない。あー、またお腹痛くなって来たわ。そういえば、今日は家具の搬入日だったから、伝票どこ置いたかな。。イタタタ・・。動くと痛いわ。

・4:30ごろ、この時のために事前連絡していた(家族ぐるみで付き合いのある、近所にお住まいの)Aさんに連絡
・ひょっとしたら長女次女は我が家を出てAさん家にお泊まりするかもしれないと思い、長女次女のリュックに着替えやおやつを詰め込む

・4:50ごろ、なんとかAさんと連絡が取れる。
その後、我が家に来てもらう。
・Aさんに、「今日は実は家具の搬入日だったんです」と言い、伝票を渡し搬入対応をお願いする。
・子どもたちの朝食や我が家のことを伝えて、5:10ごろ病院に連絡
・Aさんの旦那さま早朝ゴルフに行くというので、車に乗せていただき、病院まで連れて行っていただく。ペットボトルの水もいただく。

・5:20すぎ病院に着く(徒歩でも10分以内で着けるほど近いんですが子宮口が開いても困るので車で送っていただけてありがたかったです)。早々に着替えて分娩台へ。
・子宮口6cmと言われる
・お腹痛い!!私、スーパーサイヤ人並みに声を出して陣痛を痛がる。ウオアァァァァァァ!!
・先生や助産師さんから「急に痛いのきたらビックしちゃうよね。落ち着いて〜!」と言われつつ痛みに耐える。いや、びっくりするとかじゃなくて、痛くて叫んでるのよ。

・子宮口全開で、触れば赤ちゃんの頭部があるとのこと。次いきめば生まれるらしい。

・私、スーパーサイヤ人並みに声を出して陣痛を痛がる。うおおおおおぉぁぁぁぁぁーーー!
・先生「もういきまなくていいよ、力を抜いて」



なん・・だと?


・5:51第三子生まれる

■その5:送迎サポーターさんによる保育園訪問
主人が青森から帰ってきてくれたので、主人に依頼します。
私、入院中なので。。。

そんなわけで。
新型コロナウイルス感染症罹患やら
予定日より2週間以上早い出産やらで
スケジュールが狂いに狂った3月でした。


産後の体調はすこぶる良いです。
スピード出産なのに出血量も少なく、子宮の収縮も良い感じらしい。
歩くと痛いけど、次女の時と比べたらもう全然大丈夫。問題ないです。
いや、産後こんなに体調良いことあるのかって、自分でもびっくりです。

【子育て日記】突然始まる自宅療養期間⑥

新型コロナウイルス感染症に罹患しましたが、時は経ち、5歳長女は自宅療養期間を終えて、快方に向かう3歳次女と私。

幸いにも、娘2人と私は発熱こそあれ、結果的に呼吸器症状は酷くありませんでした。お腹の赤ちゃんの胎動も毎日感じます。危険そうなお腹の張りも現在のところはありません。新型コロナウイルス感染症に罹患してしまったせいで、食欲が減退し、私自身の体重は1kgほど落ちてしまいました(妊娠前+6kg)が、赤ちゃんは元気そうです。

今後のスケジュールに、以下の予定をぼちぼち入れていきます。

・私自身の妊婦健診
・次女(3歳)の大学病院での検査(2件+結果ヒアリング)
・次女の3歳児健診
・第三子出産のための部屋改造計画に伴う家具の搬入、新生児育児グッズなどの調達
・産後サポーターさんとの面談(3件)

新型コロナウイルスの影響で2週間は遅延しました。
この予定を遂行するのは妊娠37週以降です。
いつ、お腹の子供が生まれるかわからない正期産の時期に、いろいろと予定を入れるのは怖いです。
怖いですが、産後、私自身は赤ちゃんのお世話や体の回復に努めたいため動けません。
故に産後は極力予定を入れず、ゆとりをもちたい。
優先度が低く、産後でも差し支えないものは、産後2ヶ月目以降にスケジューリングします。


そして恐れていた事態が発生します。
ついに、主人に新型コロナウイルスの症状が出始めたのです、、。

青森から東京に戻ってきたせいで、、
私たちの世話をしたせいで、、
感染させてしまって、本当にごめんなさい。

ごめんなさい。。


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案の定、陽性。
長女にはじまり、五月雨に感染して、ついに家族全員感染しました。

その日から、主人の隔離生活が始まりました。

ーーー

今回のことを通して実感したのは、
家で防護服を着ることはありませんし、患者の完全な隔離もできません。
よく言われる「マスク、手洗い、消毒、換気」では家庭内感染は防げません。


例えば、以前の記事にも書きましたが、まだ親を必要としている子どもを隔離して過ごすことはできません。
マスクを取る食事の時やお風呂の時に、咳き込んだりくしゃみをされたらひとたまりもありません。

それに3歳の次女はマスクすぐ取りますし、水っぽい鼻水がでました。
3分〜30分ごとに 「おハナ(はなみず)でちゃった、、」と訴えてきます。まだ1人で鼻をかめないので、その度に、私が鼻を拭いてあげます。
しかし、現実問題として、3分後にまた「おハナでちゃった」なので、「さっき拭いたばかりなのにまた鼻水出たの?!」な状態です。このやり取りのたびに手指を洗う、もしくは消毒できるでしょうか。
私自身はできるだけ手指の清潔を心がけていましたので、手はかなり荒れています。


また、大人であれば、個人の感染対策の意識の問題もあります。
私は比較的、手洗いや消毒を頻繁に行い、また、そうするように子どもたちにも言い聞かせています。主人にもさりげなく私たちが気をつけてることを伝えていましたが、既に自己流を持っている頑固な(?)大人に意識喚起させるには難しいのではないかと思います。
「これだけやってるから、大丈夫」「人混みを避けていて、短時間の外出だから大丈夫」
でも、本当に大丈夫?心配したらキリがありませんが、自分だけの命ではないのです。。


そして重症でなくても、自宅待機期間、自宅療養(隔離)期間共に、苦痛です。精神的にですね。私自身は長女が最初に罹患してから2週間以上、病院に行く以外、外出できませんでした。濃厚接触者の時に早い段階で生活必需品を1度だけ、買いに出かけましたが、その後は全て宅配です。
特に陽性者となった自宅療養期間が辛かったです。子どもたちも、2週間以上、本当に、、本当によく我慢してくれました。

主人は自宅療養(隔離)期間は窮屈だったようで、しばしば部屋から出ていました。
娘2人や私は、先に罹患した分、既に抗体はできていると思います。ですので直後に再度罹患することはあまりないのかもしれません。しかし、私は子どもたちがこんなに頑張って我慢してくれていたのに、また感染するような事があったら本当にかわいそうだと、気が気ではありませんでした。


制限された環境下、さまざまな思いの中で、何とかして自宅療養期間を乗り切る以外はありません。

ーーー
思えば、去年の3月は腎結石で結石波砕術(TUL)のため入院して手術してましたわ。
なんか思いもよらない事がいろいろあるなぁ、、。


新型コロナウイルス感染症、重症でなくてもしんどい病気です。
もう、かかりたくありません。

人混みこわい。


※この全6回の「突然始まる自宅療養期間」の記事にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。これを以って我が家の新型コロナウイルス関連の記事はおしまいとなります。

【子育て日記】突然始まる自宅療養期間⑤

※またまた長文です

Day7

この日、私は自分自身の抗原検査に行く以外は、子ども2人と寝室で療養に努めました。
前日、40度近くの熱があった3歳次女は、解熱剤のおかげか少し熱が落ち着き、意識がハッキリしてきました。
5歳の長女と会話を楽しんでいます。
私の発熱もひとまず37度前半くらいには落ち着きました。でも、まだ身体は痛みますし、喉はヒリヒリ、鼻は詰まって苦しいです。

子供に留守番をさせ自身の検査のために外出した際は、約2日ぶり、15分程度の外出でした。久しぶりに外の世界に出た気がしました。
体に痛みがあったので、歩けるかどうか心配でしたが、、思ったより歩けました。
大丈夫、私そんなに弱ってない。(笑)


検査の結果は、やはり



陽性



でした。
はい。

やっぱりね〜( ;∀;)

ーーー
Day8

この日は保健所、産科の先生から電話がありました。

産科の先生と話をしていると
「あら、、喉が辛そうね、、」と察してくださいました。
喉が痛くて焼けたようにヒリヒリする、鼻が詰まって、口呼吸しかできない、そしてたまに出る咳で息が詰まりそうになって、
「お腹の赤ちゃん大丈夫かな、、。私の酸素、ちゃんと送られてるかな、、。」と不安になると、もう、そこからメンタルが崩壊して、電話中にもかかわらず、泣いてしゃべれない状態になってしまいました。

その後、保健所に依頼してパルスオキシメーターを貸与していただきました。
産科の先生からは午後に再度電話があり、「各所に掛け合ってみたところ、往診できそうだから、夕方に行くわね」と心強い連絡をいただきました。

病院が近いことが幸いしたのでしょうか。
予想より早く助産師さんが来てくださって、狭い我が家で腹部の計測と胎児の心音を確認してくださいました。
胎児の心音の確認には時間がかかりました。
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モニタを持ってくるわけにはいかないため、このイラストようにモニタを見つつ胎児の様子を確認することができません。
助産師さんの触診で胎児の上下左右を確認していましたが、お腹の赤ちゃんもなかなかこちらを向いてくれず、心臓の場所が特定できなかったのです。


・・30分ほど粘った結果、なんとか元気な音を聞くことができました。
あぁ、良かった、、!
ちなみに、心音確認用のスピーカーの音に驚きすぎて、往診中ずっと、次女は泣いて布団の中に隠れていました。助産師さんごめんなさい。

とにかく、
自身の呼吸がつらい時はパルスオキシメーターで計測ができるようになりましたし、お腹の赤ちゃんはこれくらいではまだ死んだりしない。何かあれば相談に乗ってくれる産科の先生がいる。


支えとなってくださる方々がいて、本当に良かった、、、。
安心した日でした。

ーーー
Day9〜

区の保健所とは別に、母子健康の把握のため、管轄の保健所から電話がありました。
またこの日、3歳次女にも咳の症状、鼻詰まりの症状が顕著に現れました。また、理由は不明ですが、あまのじゃくな発言と大泣きを繰り返し、かなり不機嫌でぐずります。

私自身も痰の絡んだ咳が出るようになりました。咳をするたびに胸と喉が痛みます。
自分の症状がつらいため、気持ちにゆとりが無く、泣き散らす次女に強くあたってしまいます。5歳長女に聞いたところ、真剣な顔で「次女ちゃんと話すときのお母さん、めっっちゃ怖かった」


また、私自身、翌日の夜には嘔吐の症状が出て、夕食が取れませんでした。
一方で、昨日の不機嫌は何だったんだと不思議なくらい次女は穏やかになり、長女と仲良く遊んでいました。
昨日の次女のあまのじゃくな態度と大泣きには、心当たりがありました。突発性発疹の時と似ています。体に不快感があって、それをうまく伝えられなかったのでしょう。

突発性発疹の時の次女


そして、
5歳長女は自宅療養期間を終え、私や3歳次女も快方に向かっていきます。

【子育て日記】突然始まる自宅療養期間④

※長文です。

Day6
朝になり、私は全身の倦怠感、関節痛、頭痛、悪寒のため、起き上がることが難しい状態になりました。鼻閉塞、咽頭痛もひどいです。

私自身の熱はさほど上がらず、朝の時点で37.5度。3歳次女は昨日から39度近い発熱です。解熱剤を服用させたいところですが、すでに服用しており、間隔を空けなければいけないので、もどかしい気持ちでした。
5歳の長女は私と同様に鼻閉塞、咽頭痛がありますが、少しずつ快方に向かってきたように思います。

私自身の体はしんどいですが、長女に何か食べさせなければなりません。
何か、、手軽なものでいいから、、何か、、。

痛む身体ではありますが、むっくり、、のっそり、、一歩ずつバランスをとりながら何とかリビングに行き、食事の準備をします。準備した朝食を娘たちがいる部屋まで運ぶときも、手がプルプル。零れないように気をつけながら運びます。
・・それにしても何でこんなに体が痛いんだ、、。(新型コロナウイルス感染症の諸症状のほか、私は妊娠後期のため、赤ちゃんも大きく骨盤も痛い。苦笑)

ーーー
軽い朝食を済ませた後、
私は妊婦健診でお世話になっている、近所の中規模総合病院に電話。
長女の陽性に引き続き次女の陽性の連絡と、今度は私自身が発熱し、発熱外来を受診したい旨、連絡しました。
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すると
「ごめんなさい、大人の発熱外来は今日はやっていないんです。明日でしたら予約お取りできますよ」とのこと。
やってないなら仕方ない。他の病院は遠いので、体調が悪い今日は休んどくとして、明日に受診するか、、と考えました。

そして、そのことを主人にも連絡。
なんと、主人が単身赴任先(青森)から東京に戻ってきてくれると言うではありませんか。
ついに東京の妻子が共倒れとなり、自分が行かねば、と思ったのでしょうが、東京に来ることで主人は否応なしに濃厚接触者となり、自宅待機となります。感染のリスクもあります。

後から思えば、青森から戻ってくることは正しかったのか?どうだったのか、、、。私にはわかりません。

ただ、この時は申し訳なくて何度も謝りました。そして感謝の気持ちも伝えました。

主人は午前中に仕事をまとめて、午後から東京に向かい、我が家への到着は18時ごろになるとのこと。
私は頭痛や寒気などの症状と闘いながら、主人が感染しないよう、今後のルールをちゃんと決めようと、昨日深夜に情報収集して得た、参考URL等を送ったりしていました。
ーーー

長女は快方には向かっていたので、私はむっくり、、のっそり、、まあまあ重さのあるトランポリンを寝室に運び込みました。長女は喜んで跳ねていました。
でも、長女も「元気いっぱい⭐︎ねぇ、お母さん、お母さん遊びましょ♪」という雰囲気ではなく、大半を私や次女と一緒に横になって過ごしてくれました。(←いい子、、涙目)

この日、1日を通して
次女に解熱剤を服用させても、40度近くの熱があり、とてもしんどそうにしていました。
ただ、食欲は少しはあり、高熱のため震えてはいましたが、たまにおにぎりを食べたり、水分補給はできました。

私自身の発熱は最高でも38度。
みられた症状は、頭痛、悪寒、咽頭痛、鼻閉塞に関節痛
味覚や嗅覚はあり。(鼻詰まりのため、そもそも嗅覚は塞がれていた問題が 笑)
食欲もあり。フルーツパンや牛乳を飲んだり、果物を食べてしのぎました。

しんどい日でした。
横になってもしんどい。

そして気になるのはお腹の赤ちゃんのことです。
私自身の妊婦健診は2月から行けていません。
私は陽性者のため病院には入れないので、往診していただくことができれば良いのですが、、。
ーーー

夕方に主人が帰宅して、予想より早めの再会を果たしました。もともと、娘と私たちの自宅待機期間が終わってから会おうと思ってましたから。

主人は夕飯を作ってくれました。
この日一日、しんどくて私ができなかった家事を引き受けてくれました。
申し訳なくて、ありがたくて、なんだか涙が溢れました。

・・でも、消毒はしっかりしてほしい。

【子育て日記】突然始まる自宅療養期間③

Day3〜Day4

長女(5歳)はすっかり解熱し、食欲も少しずつ戻ってきました。(とはいえ、通常時の半分以下ですが)おかゆやうどん、時にトースト、おさかなソーセージ、ヨーグルト、くだものなど、食べれそうなものを準備しました。
たまに、しんどそうに横になっているので、無理はしない、安静をこころがけながら。

私や次女(3歳)は長女を隔離できずに、こまめに消毒をするよう心がけ、生活をしました。

次女はまだマスクをつけることができません。
かつ、お姉ちゃんのことが大好きで、いつも一緒に遊びたがるため、一番の濃厚接触者です。

一方、私は今後の長い自宅療養期間のための遊び道具(今更ながらのトランポリン (^^;))やら、トイレットペーパー、消毒液などの日用品を購入。

過ごしやすい気候になってきました。
でも、公園には行けないので、娘2人と私でバルコニーに出て外の空気を感じ、ボール転がしなどをして体を使って遊びました。


Day5

長女が新型コロナウイルスに感染し、自宅療養となって5日目。
この頃、私自身、喉のイガイガや鼻詰まりなどを感じるようになっていました。

私は常時マスクをつけるようにはしていましたが、ご飯の時やお風呂の時には皆、マスクを外します。

そこで長女が咳やくしゃみをすると、もう防ぎようがありません。

「いくら対策したって、これは無理やん」と、なかば開き直りの気持ちがありました。もう、こうなったら2人の娘と私は運命共同体です。

この日は天気が良くない日だったので、事前に購入しておいたトランポリンを開け、組み立てて(大人2人で組み立ててくださいという注意書きでしたが、妊婦1人で頑張って組み立てました、、)娘たちは大喜びで遊びました。

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夕方になり、次女の横に座ると、顔が赤い。体を触ってみると、熱い。
これはもしかして、、と検温すると38.3度。
さっきまで長女と元気に遊んでいた姿は一変し、ぐったりしています。

時刻は17時。
間に合うかしら、、と思い、かかりつけ医(長女の時にも行った小児科)の発熱外来に電話します。
18時に診療終了ですが、18時5分に診ていただけることになりました。
回復傾向にある長女と、ぐったりした次女を自転車に乗せて病院まで行き、受診し、検査。


結果

やはり

陽性。


はあぁぁぁ。


ぐったりした次女はとりあえず休ませて
長女とご飯を食べて、歯磨きをして、就寝。

体の異変は次女だけではありませんでした。
いつもなら、娘たちを寝かしつけるのと同時に、私自身も寝落ちするのですが、何故だか眠れない。

昼間から鼻が詰まり、咽頭痛はありましたが、夜がふけるにつれ、着ていた布団だけでは寒気が止まらず、頭痛がします。

これは、、、と思って検温してみましたが、37.2度。発熱というにはまだ低いですが、私自身も新型コロナウイルスに罹患したに違いないと思いました。

寒気で眠れなかったこともあり、深夜ではありましたが、主人への第一報を入れました。そして妊娠後期の早産の可能性や帝王切開、現在私が入っている保険の適応可否など、情報収集を行いました。

夜間に次女は熱がぐんぐん上がってきたため、時々目を覚まし、ぼんやりとしんどそうにしています。検温すると、39度近くあります。
処方された解熱剤を飲ませましたが、効果はどうか、、。

次女の顔が真っ赤なことは言うまでもありませんし、頭のてっぺんから手先、足のつま先まで、とても熱かったです。

※この「突然始まる自宅療養期間」の記事は全6回を予定しています。

【子育て日記】突然始まる自宅療養期間②

Day 2
前日晩に服用した解熱剤が効いたのか、長女の熱が下がりました。しかし、喉の痛みの症状が出始めました。新型コロナウイルスの症状として、「噂に聞いていたのはこれか、、!」と実感します。ただ、鼻詰まりも喉の痛みも、風邪に似た症状で、会話できないほどではありません。
解熱し、少し元気を取り戻した長女は
朝、布団の中で「おなかすいた」
起床して長女の食べたいものを準備します。
その後、私、長女、次女の検温と長女のMyHER-SYS入力。

そして午前中、私は関係各所への電話に追われました。SMSで届いた保健所からの情報をもとに、自宅療養期間や濃厚接触者の自宅待機期間を確認しました。

直近に入っていた私の妊婦健診の予定から、3週間後まで入っていた予定は全て日程変更。直近の予定で優先度の高いものから順に電話していきます。

途中、保健所からも電話連絡が入りました。自宅療養期間の指示も。自分で確認した期間には勘違いがあって、再度連絡し直すという手間も発生しました。
「それ早く言ってよ〜!」的な。( ;∀;)

ちなみに、長女は症状発症日を0日目として10日間、濃厚接触者の私と次女は、陽性と判断された人との最終接触日から7日間です。
家の中では陽性者を隔離して生活ができないので、長女の方が自宅療養期間が先に終わり(10日間)、私と次女はそこからさらに7日間(計17日間)が自宅療養期間、とのことです。

保育園に自宅療養期間や次回の登園日を連絡。

気を取り戻して、濃厚接触者であるため
次女だけでも以下の日程変更
・大学病院での検査2件と結果ヒアリングのための受診
・3歳児健診
・予防接種

私自身も濃厚接触者なので、以下の予定の変更
・妊婦健診
・出産後の送迎サポーターさんへの内容説明および保育園訪問日
新型コロナウイルス予防接種3回目
・第三子出産のための部屋改造計画による家具搬入日

電話ばかりで午前中が終わり、どっと疲れました。

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長女と次女はケンカしながらも2人で遊んでくれています。助かります。

そんななかでも良かったと思うこと
・できる時にできる限りの行動をしていた

「初動は早く」といいますか、「善は急げ」といいますか、できることは後回しにしないことを心がけて、産休を過ごしていました。

後回しにしなかった事で、出産前のスケジュールにまだ少し余裕があり、(臨月に入り、出産までギリギリではありますが)なんとか私が対応ができ、気持ちにも余裕が持てると感じました。

・・・少なくとも、この時は、まだそう感じていました。


また、普段から生協の宅配や、ネットスーパーを利用していたため、買い物に困ることはありませんでした。

この日、長女の熱は上がることはありませんでした。少し安心するも、まだ気は抜けません。
親の言った通り、ご飯とお風呂の時以外はマスクをつけてくれており、手洗いもしてくれます。
親バカですみませんが、長女は素直で優しい、面倒見のいい、いい子です。

また、主人含めて家族みんなで、元気に笑顔で一緒に過ごしたいな。。